【レッスンレポート】大海BachからBeethovenへ
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ピティナ・ピアノセミナーより
日時:2020年8月20日
会場:汐留ベヒシュタイン・サロン
講師:ピアニスト 京都芸術大学非常勤講師 俣野修子
第3回目となるピアニストと製作マイスターのレクチャーシリーズは、今年4月27日に、ベートーヴェン生誕250周年を記念とし、ピアノソナタにおける彼の作品の特徴「Bachからの影響」「室内楽的視点」の2点から考察される予定でした。しかし、新型コロナウィルス拡大のため、残念ながら来年秋へと延期になり、今回は「Bachからの影響」に焦点を当て、第3回目のプレリュードとして、勉強会を開催されました。
はじめに俣野先生は、ベートーヴェンがバッハに結びついた経緯を次のように語られました。「ベートーヴェンは11歳の頃に、バッハの孫弟子であるクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事し、クラヴィア奏法習得のために、彼から全調で書かれたバッハの《平均律クラヴィア曲集》の課題を与えられたことで、24の各調の性格とその其々調性に適したテーマに直に接することになりました。《平均律クラヴィア曲集》は、平均律という調律法によって発生した各調の性格の違いに注目して書かれた曲集とも言えます。ベートーヴェンは、この経験の中で、バッハの「調性の扱い方」や構造的な「作曲技法」を学び、少なからず影響を受け、そしてその影響は、彼の様々な作品の中からもうかがい知ることができると、ベートーヴェンが幼い頃からバッハの『平均律クラヴィア曲集』を勉強したことによって「調の性格」と「構造的技法」を体得していたことがわかりました。
次に、ピアノ製作マイスターの加藤より、「調性について」プロジェクターを使ったレクチャーが行われました。
「平均律」と「不等分律」「ミーントーン」は長3度の響きの違いがあるため、調律法によってCから離れるほど調性の色合いの変化が大きく感じられると説明しました。つまり調号が増えていくに連れて音の揺らぎが増えて聞こえてしまう、ということだそうです。
そして実際に純正律で調律したピアノを用意し、俣野先生に《平均律クラヴィア曲集第1巻》より〈11番〉のフーガF-durを弾き比べていただきました。俣野先生は、不等分律のピアノでの印象を、「明るい雰囲気」とFとAの「長3度のビート(揺らぎ)が少ない」「音程のハモリがはっきりする」と感じる、と平均律で調律されたピアノとの比較を平易に説明されました。
次に俣野先生は、ベートーヴェンの人生と作曲理念の変遷が表れている《32のピアノソナタ》に触れ、彼が若干10代にして影響を受けた、バッハの「調の性格」と「圧縮の技法」について語られました。ベートーヴェンのピアノソナタを、バッハの《平均律クラヴィア曲集》からそれぞれ抜粋し、比較しつつ、バッハからの影響が見られる特徴について実践的なレクチャーが行われました。
はじめに「調の性格」について
c-mollとf-mollは、ベートーヴェンにとって重要な調だと言われています。c-mollは《運命》《悲愴》《3つのピアノトリオ》の第3曲などが挙げられ、f-mollは《熱情》《弦楽四重奏曲セリオーソ》第11番《ピアノソナタ》第1番などが挙げられる。そして、c-mollは、人間の抗えない宿命や、運命的なものをドラマティックに表現しており、f-moll は、シリアスで絶望感のある調である。この二つの調性を持つベートーヴェン作品の中には、曲中や楽章において、田園的な雰囲気を持つF-durと、温かみのあるAs-durが効果的に使われている箇所が見られ、c-moll、f-moll から、これらの調への転調は、まるで救いのような印象となっている、と俣野先生はベートーヴェンが用いる調性の特徴を考察されました。
【譜例1】にある《ピアノソナタ第1番》の3楽章はf-moll で始まるが、Trioに移る際にF-durへ転調すると例を挙げられました。
【譜例1】 ベートーヴェン: 《ピアノソナタ第1番》 Op.2-1 第3楽章 mes.31-49
このような転調について俣野先生は、バッハの《平均律クラヴィア曲集第1巻》より12番f-mollのフーガ(F-dur・As-durへ転調)でも見られ、ベートーヴェンは、調性を考慮して最も適した部分で効果的な転調を採用する手法を、バッハの平均律から学んだものと考えられる、と具体的な例を用いて説明されました。
次に「圧縮の方法」について
俣野先生は、ベートーヴェンの音楽を支える要素として、「激しいコントラスト」「緊張感」「構築感」「急激なディナーミクの変化」「突然の沈黙(休符)」に加え、「圧縮」が挙げられる、と説明されました。バッハのフーガの中には、1つのテーマが終わりきらないうちに次のテーマを重ねる、ストレッタ(stretta ) と呼ばれる技法がよく使われ、このテーマが入るスパンを圧縮し、ストレッタを使うことで緊張感を生み出す効果がある、と「圧縮」による効果を説明されました。【譜例2】(アルト、テナー、バス、ソプラノの順にストレッタ)
【譜例2】 バッハ: 《平均律第1巻》より 〈1番〉フーガ BWV846 mes.14-8
そして、【譜例3】のように、テーマ自体が圧縮されることもよくあるそうです。
【譜例3】バッハ: 《平均律第2巻》より 〈10番〉フーガ BWV879 冒頭
この技法をべートーヴェンは、【譜例4】【譜例5】にある、《ピアノソナタ1番》の第1楽章冒頭や、《月光》の第3楽章に使われている、とベートーヴェンの《ピアノソナタ》の多くに「圧縮」の技法が使われていることを説明されました。
はじめのテーマは2小節で1つのテーマだが、次の段からはテーマの圧縮がされています。
【譜例4】ベートーヴェン: 《ピアノソナタ1番》 Op.2-1第1楽章 冒頭
【譜例5】ベートーヴェン: 《ピアノソナタ14番》Op.27-2 第3楽章 冒頭
このような構造的な裏付けがあると、ディナーミクが説得力を持ち、より緊張感、高揚感が生まれる、とベートーヴェンが用いる「圧縮」の技法を説明されました。
また、ベートーヴェンの後期のソナタの最も重要な部分にフーガを置いているところからも、バッハの影響が見られる、話されました。
俣野先生は、次回第3回に向けて次のように話されました。「ベートーヴェンは激しい性格であったが、自然を愛し、家庭に憧れ、人生への自問を繰り返す人間味の溢れた人物であった。そして、作曲家の性格は、必ず作品に現れるものであるため、ベートーヴェンの人生と、ピアノソナタにおける室内楽の影響を今回の内容と絡めてお話する予定です」
最後に《ピアノソナタ1番》より第2楽章を演奏されました。自然の中を手を後ろで組みながら歩き、自己と向き合うベートーヴェンの絵画がよくみられるが、そのようなヒューマニティーを感じられる曲である、と俣野先生はこの曲についての印象を話されました。
田園を散歩するような穏やかなF-dur の色合いが感じられる、深みのある温かい演奏でした。
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