経験‐2

タイヨームジーク・ピアノ部門の日本メーカーのブランドTOYO(日本ではApollo)の輸入は、為替レートの理由で中断されていたが、私の在独期間中円安に転じた事があり、数コンテナであったが輸入を再開した。

Royaleと比較すると楽器自体の完成度は高く、機能品質によるトラブルは稀だったが、響きや音色に対するディーラーからの要求は、相変わらず強かった。特に、響きの明暗、抑揚間、などに対するドイツディーラーの耳は厳しかった。

1992年初夏になりそんな経験を約3年続けた僕は漸く、ピアノ製造マイスター試験の準備の為、再びベルリンのベヒシュタイン工場の職人に加わり勉強をすることを許された。

ベヒシュタインのベルリン工場で最初に経験したのは、木材置き場の整理整頓だった。

高校生位の年齢の若者に”Du"呼ばわりされながら(英語の”you"の丁寧なドイツ語は”Sie" 、仲が良くなると”Du"、よく知らないのに”Du"の場合はどちらかというと小馬鹿にされている感じ)ドイツ人に比べると随分小柄な私 (173cm) にとっては、まるでスポーツジムでのトレーニングのような体験だった。

「Du(お前)warun wie so (理由は) nicht (ともかく)、ブナはこのように、松はここにこのように、シデはここに、化粧板はあそこの半地下へ、そうマイスターに言われた。だから今はさっさと動け、もたもたやっていると今日中に終わらなくなるぞ!」

という感じで、血豆を作りながらの材木置き場で作業した記憶が残っている。

(写真はSeifhennersdorfのベヒシュタイン工場 2005年撮影)

その体験をさせてくださったベヒシュタインの木工部門のマイスターに心から感謝するのは少し後で、マイスターシューレ(学校)での材料学の授業を受けている時だった。木材の種類による通気の影響違い、木表、木裏の変化の違い、紫外線の影響など理論を提示された時、ベヒシュタインの材木置き場の整理方法の理由が理解でき、血豆を作った身体に残る経験が頭に叩き込まられたような感覚をうけた。

その授業で感動した時、材木の整頓を終え憔悴していた私を笑顔で見ながら、Alles klar? (分かったか)と言ったマイスターの顔を思い出した。(続く)

(加藤 正人)

C.BECHSTEIN

リストやドビュッシー、ビューローなど偉大な音楽家に インスピレーションを与え続けてきた、世界の3大ピアノメーカーの1つ、 ベヒシュタイン。 そのパフォーマンス・芸術性について、ベヒシュタイン・ジャパンの スペシャリストが、公式サイトには載せない、ここだけの話しをお届けします。

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