【特別対談】樹原涼子氏 加藤正人「ピアノランドメソッド 音楽とピアノと」

 日時 2021年11月26日  会場 ベヒシュタイン・セントラム東京

作曲家でありピアニストの樹原涼子さんは、ピアノの教育分野において常に新しい提案と実践を続けていらっしゃいます。2021年には新たな著書『教える人も習う人も幸せになる ピアノランドメソッドのすべて』、2022年には『ピアノランドプラス 四季のうた』(いずれも音楽之友社)を発表されました。

樹原さんご自身ベヒシュタインピアノのユーザーでもあり、これまでも作曲とベヒシュタインピアノの親和性について幾度となくお話を伺ってきましたが、今回あらためて“音楽教育”についてのお考えを伺いました。弊社代表加藤との対談でお届けします。

『教える人も習う人も幸せになる ピアノランドメソッドのすべて』

加藤:樹原先生が新たに出されたピアノランドメソッドのタイトルである「教える人も習う人も幸せになる」この言葉が私の心にストンと落ちました。弊社会長の戸塚は、「弾く」は英語で“Play”ドイツ語だと“Spielen”。どちらも「遊ぶ」という意味を指す単語を使うのに、日本だけ違うのはおかしい、と常々話しています。樹原先生が生徒さんや先生に向けて取り組まれていることが、我々がお客様に常に言いたいことと非常にマッチングしていると感じたため、今回は音楽教育についてのお考えについてお話を伺いたいと思っております。

樹原:「自分で弾けて楽しい」というところから、「教えて楽しい、習って楽しい」の地点に辿り着くまでに、すごく距離があると思います。そこで、そこの距離を出来るだけ縮めていくお手伝いができたらなと思い、この本を出しました。

できる子だけ残っていくというのでは、音楽で選別したことになってしまいます。才能や努力の個人差はあるにせよ、どんな人でも音楽と出会って幸せになることは絶対出来ると私は思っています。親から見て一見成長していないようでも、その子がピアノを弾く時間が楽しければ、かけがえのない時間と感じるはずです。「うちの子供は才能がないので、辞めさせます。」という事例をたまに聞きますが、本人が楽しそうに弾いているなら、それを大切にしてあげたいと思うのです。現実の世界で「好きなこと」を持つことがどんなに重要か、そして花開く時期も様々です。「自分の幸せと音楽を繋げていく」意識を親、指導者がしっかりと持っていなければいけないと感じます。

私にとってピアノと接する時間は、「自分が安定する時間、拠りどころ」となってきました。しかし、子供に教え始めたころは、「ピアノは練習させなければいけない」と考えていたので上手くいきませんでしたが、それではいけないと気づき、「習う人の幸せ」にフォーカスしていきました。

そこで一番大切にしているのは、小さい頃から音を聴く喜びを感じてほしいということです。『プレ・ピアノランド①』にでてくる「ひびきちゃん」というキャラクターがいますが、これは1音弾いた時の響きを最後まで感じてほしいという願いのもと、誕生しました。【図1】この聴く力をつけると、メロディラインやハーモニーのバランスを意識できるようになります。

加藤:実は、私が社内技術スタッフへ調律を教える際も、音の頭としっぽを意識しなさいと伝えています。なので、樹原先生と同じ聴き方をしているのだと感じ、驚いています。音のしっぽを揃えていくと響きがすごく綺麗になります。

樹原:そうですよね。聴く力を育てるということが、音楽の良さを理解する原点だと考えます。先生方には、スケールは、ただ指を動かす練習ではなく、一音一音に役割があることを理解して教えて頂けたらと感じます。そうすると、メロディラインの歌い方も変化していくと思います。

私はよく生徒に、「センスというものは違いが分かること」と話しています。これは大事なことです。先生たちが、作曲家が選んだ音の意味を一音一音考え、その意味、ニュアンスの違いを伝えようとしてくれたら、生徒は、作曲家の個性を感じ、その特徴を表現しようと育っていくと思います。「そこを強く!弱く!」とその場の表現の指示をするだけではなく、音楽の骨格や特徴を捉えて自分がどう表現したいのかを考えられるように導く。そうすると、作曲家と聴いてくれる人との間に立って、音楽でコミュニケーションするという、音楽の醍醐味が味わえるようになると思います。音楽は人間を育て、人と人とを繋ぎ理解し合うためのコミュニケーションツールでもありますから。

加藤:一つの音を聴くことで感動体験をさせる、ということですね。一つの音に変化があり、それらを繋げていくときに役割を感じる。先生の本にも「ミの気持ちになって考えてみよう」【図2】と音列やハーモニーのそれぞれの音の役割について書かれていましたね。



【図2】

樹原:はい。ハ長調であれば「ミ」は第3音としての役割を担います。そういうことを先生が理解し、教えることで生徒の感性がとても豊かになると思います。さらに、そのときに指先の「タッチポイント」(指先の鍵盤に触れる面の中心点を、ピアノランドではそう呼びます)へ、音の高さや質感をイメージして打鍵するように教えます。【図3】ただ指を上下に動かせば音が鳴る、というのではなく、自分が出したい音を、弾く前に明確にイメージできれば、意志を持った音が出ることを教えます。


【図3】


幼少期についていた先生からの影響

加藤:お話を伺って、私も幼少期に樹原先生にピアノを習いたかったです。樹原先生は、幼少期に良い先生と出会ったと書かれていますが、ご自身の幼少期の体験や、それらを現在どのようにご自身の考えに展開していかれたのでしょうか。

樹原:小学5年生まで習っていた八戸先生ですね。「ピアノを弾くことが喜びである」ということを教えてくださった先生で、レッスンに走っていきたくなるくらいワクワクしていました。八戸先生は、和音の響きを聴く指導をされていました。また、母たちにコーラスを教え、(母たちの)音楽性を引き出し、親が音楽を愛せるような指導をされていました。これは後になって先生から聞いた話ですが、私の母は先生に、私が習っていた曲を昼間の時間レッスンを受けていたそうです。母は、私のレッスンにとても興味を持っていたと思いますが、口出しはしない人でした。毎日夕方に私が練習している背中合わせで母が料理を作りながら楽しそうに聞いてくれていたことが嬉しかった思い出です。一人でも観客がいてくれる練習だったら嬉しいですよね。

また、八戸先生は発表会で即興演奏をさせたり、当時にしたらそういった指導は斬新だったと思います。私の練習は「一日一時間」と母と約束していましたが、その一時間が終わったら遊び弾きをしていました。この「遊び弾き」が自分を育てたと思います。私は和音オタクだったので、綺麗な響きを見つけることが好きでした。習っている曲が知識のベースになっていたのか、私はどんなメロディーにも合う和音を見つけて伴奏することを楽しんでいました。

ある日、ソナチネか何かを弾いていた時に、ある和音のタッチがスパーンと自分の中に響き、この感動を忘れないようにしないと!と何回も練習したのを覚えています。なので、小学生3~4年の時に自分の「理想とする響きが出せた喜び」というものが、ピアノを好きになる原点になったと思います。

加藤:楽しんで弾くということがベースになっているということですが、子供たちに楽しんでもらうには講師も変わらないといけないということで、最初の取り組みとしては、どう音を聴かせるかということが重要になってきますね。

樹原:はい。子供たちが毎回のレッスンで何か一つでもできたという達成感を感じてほしい。これはまだピアノを弾けない幼児でもできます。コードの違いを聴いて味わう、新しい歌を覚える、指の体操、音符カードが読める。「聴く、歌う、動く、見る」これらの4つの柱【図4】をバランスよく伸ばしながらピアノを弾くための準備をして、「弾けるようになるまでもう少しだね!」と励まします。そうすることでピアノを弾くということが楽しみになっていく。まるで遊んでいるように見えますが、この4つの柱別にトレーニングするという方法を思いついてからは、子供達の成長の土台がしっかりとできるようになりました。

ピアノを弾くということは、「聴く、歌う、動く、見る」これらをいっぺんに行う難しい作業です。幼児のうちにそれぞれの力を伸ばしてあげることでピアノが弾ける年齢になって弾き始めたときに、楽譜を見ながら手の形も綺麗で、良い音で弾き、自分の音を聴きながら演奏できる子に育ちます。これが、「二段階導入法」です。



【図4】

加藤:大人は気持ちが先行したレッスンをしてしまいがちに感じるので、これらをカテゴライズされたことはとても素晴らしいと感じます。また、指導者がこれらを理解しているとしてないとでは大きな差が生まれると思います。

樹原:そうですね。私は生徒がうまくいかない時の原因をとことん考えました。ただ曲を弾かせればよいのではなく、問題は、いかに弾くかです。どう弾いたらピアノから綺麗な音が引き出せるのか、音楽の良さが表せるのか、そういったことを考えてピアノと向かい合えるようにしてあげることが大事ですね。

とことん考えるということ

樹原:私は以前ジャズダンスのインストラクターをしていた時代があり、背骨の使い方や肩の開き方、そういったことを気にしていたら、手の骨格もすごく気になるようになりました。本来人間の手は物を掴むためにできているので、掴む動作の途中で鍵盤に触れるのが一番良い音がします。掴む時に打鍵のスピードが変わっていき、強弱に繋がるので、自分の指を内側に引き込む力を上手く利用したり、手の重さを使ったタッチを利用する。上から叩いて強く弾こうとしてはいけません。この引き込む力=屈筋と腱の連係が音質に影響しています。こういったことを自分で一から考えるのが好きでした。

また私自身は、クリエイティブなことに時間を使いたいので、あまり長時間練習するタイプではなく、考えたことをなるべく短時間でできるようにすることが大事でした。小学生の頃に自分で考えた練習法がありました。それをピアノランドテクニックに載せてあります。


【図5】

加藤:ご自身で作ったハノンですか。すごいですね。我々は海外の教授のレッスンの翻訳をよくしますが、先ほどの手の構造を理解した上で弾くということは、どの先生も同じことを話されていました。

樹原:「音楽、楽器、体」これらすべてを知らないと上手く連係できないことですね。楽器に関しては、本の中にピアノの構造について書いた章があります。鍵盤を沈める時にダンパーを動かしているという意識があれば、音の余韻や切り方がデリケートになると思います。こういったことがピアノを弾くにあたり重要であることを知ってほしいと思い、テクニックの本に載せました。

【図6】

加藤:子供への指導にあたり、書かれていることが多いと感じますが、大人でも可能でしょうか。

樹原:もちろんです。大人こそ自分で本を読めば分かるので、短時間で理解できるはずです。弾けないことの原因が何なのか自分で気づいて修正できたら楽になっていきます。私はカテゴライズやラベリング、それらを比較し、総合的に考えるのが好きで、いつの間にかピアノランドメソッドの体系が出来上がりました。時代の変化に応じてピアノの常識というものが変わっていけると良いと思っています。どういうことを研究して、どういうことができるようになったかということが、その人の支えになっていくと思います。

加藤:良い音を出したい、良い響きを作りたい、美しい抑揚をつけたい、そういったことに意識を持てればよいですね。

樹原:はい。視野を広く持って、「やっぱり自分はこれが好き」と思える表現や奏法を見つけられたら幸せだと思います。



ピアノの個性が作曲や演奏へ与える影響

加藤:樹原先生は現在ベヒシュタインを使ってくださっていますが、以前作曲なさる際に、ベヒシュタインピアノだと面白いとおっしゃっていただいたのを覚えています。先生が考えるベヒシュタインが持っている特徴はどういったところでしょうか。

樹原:私はハーモニーの美しさにこだわって作曲しています。ベヒシュタインは響きがクリアなので、ハーモニーの中のメロディー、内声、バスそれぞれの動きがとても綺麗に聞こえてきます。また音に意志があるので、自然と音の流れが生まれてきます。自分の中から音楽を引き出す時にとても素直な響きで私を助けてくれます。山から川が流れるように、音にも自然な重力のようなものが働いていて、私はそれらの力を捻じ曲げないようにして、すくい取るように作曲しています。

加藤:偶然にもショパンの映画を思い出しました。ショパンが先生にミス音を指摘された際に、「この流れだとこの音で合っている」と話していたシーンがありました。

樹原:そういうことはあると思います。よい着想が生まれたら、それを発展させるように耳を傾けて作曲をしていくので、自然に響いてくれる。私は内声のラインを多く作るので、その点ベヒシュタインピアノが助けてくれています。

加藤:ピアノ自体の個性が演奏に与える影響についてはどのようにお考えですか。

樹原:色々なピアノの個性があり、人それぞれの趣味も違いますよね。同じ曲でも別のピアノで弾く喜び、同じピアノでも別の人が弾くと異なる面白さが生まれるのがよいところです。

加藤:バックハウスが、ベーゼンドルファーとベヒシュタインでワルトシュタインを弾いた演奏がありますが、パフォーマンスが全然違います。響きが全然違うので、次にどうしたいのか変わります。テンポや抑揚の付け方も違います。2楽章では20秒ほど差が出ていました。同じピアニストとは思えない演奏です。

樹原:ベーゼンドルファーの方は、音の減衰がゆっくりなので、テンポが遅くなるイメージがあります。面白いですよね。ピアノごとの設計思想、特徴を知らないと操れないですし、曲の良さを知ってピアノごとに表せたら良いと思います。ご紹介いただいた本のあとがきに「音大には色々な良いピアノを置いてほしい」と書きました。音大生のみなさんが、何が大事かを知ってピアノと対話しながら弾いてくれたらと願っています。



最後にこれからのご活動についてお話いただきました。

樹原:昨年行った『ピアノランド こどものスケールブック』をレクチャーしたセミナーが好評だったので、2022年秋からは『耳を開く聴きとり術コード編』のセミナーを配信します。2時間の配信の中で一冊の本が丸々分かり、音として先生が実践できるような内容をシリーズごとにライブラリーのようにしていきたい、それを一般の方へも向けて広げていきたいと考えています。今は遠方の方でもネットでのアクセスが可能な時代ですから、後から始めた方の役に立つかもしれないということを考えて、ちゃんと映像で残しておこうと考えています。音楽を極めた人たちが、自分の演奏だけで完結させるのではなく、分かち合うという流れも最近いろんなところで感じます。私も、私にできることを。


■プロフィール 

樹原涼子(作曲家・ピアニスト)

武蔵野音楽大学器楽学科ピアノ専攻卒業。連弾の手法を用い、歌詞でイメージを広げながら子供たちの音楽性と演奏技術を開発する新しいメソッド「ピアノランド」を発表し、ベストセラーとなる。音楽之友社からピアノ曲集を次々と発表、小原孝、宮谷理香、舘野泉他多くのピアニストが演奏、その作品は日本人作曲家として独自の境地を開く。ピアノ指導者のためのマスタークラス、コード塾等を主宰、ピアノ教育の発展に力を尽くしている。


■『教える人も習う人も幸せになる ピアノランドメソッドのすべて』(音楽之友社)

樹原涼子 著

定価 1,980円 (本体1,800円+税)

判型・頁数 A5・208頁

発行年月 2021年9月

ISBNコード9784276148116


【引用資料】
『教える人も習う人も幸せになる ピアノランドメソッドのすべて』より
【図1】p44 【図2】p46【図4】p38
『ピアノランド たのしいテクニック上』より
【図3】p12
『ピアノランド たのしいテクニック下』より
【図5】p27

『ピアノランド たのしいテクニック中』より

【図6】p28,29

C.BECHSTEIN

リストやドビュッシー、ビューローなど偉大な音楽家に インスピレーションを与え続けてきた、世界の3大ピアノメーカーの1つ、 ベヒシュタイン。 そのパフォーマンス・芸術性について、ベヒシュタイン・ジャパンの スペシャリストが、公式サイトには載せない、ここだけの話しをお届けします。

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